猫が寝てる間に、映画でも観ましょうか。

映画館やDVDで鑑賞した映画のお話、ときどき猫。

少年たちの憂愁 「坂道のアポロン」実写版感想⓷  

前回②の続き

 

●物語の進行、全編を優しく包むサウダージ

 

さて、この物語の重要な部分のひとつ、少年達の孤独。

彼らの孤愁は作品の底に、最後まで静かに優しく流れていきます。

冒頭から10分くらいまでの間ですでに、薫と千太郎二人ともいろんな事情を抱えながら、葛藤の中一生懸命生きているということがわかります。

 

「忌々しい坂だ」

薫の転校初日、学校までの坂道を登ってくるところから本編がスタートします。

ただでさえ通うのが億劫なのに、こんな坂の上に学校があるなんて。毎日ここを登るのか。居候している親戚の家では、肩身が狭い上に医学部に行って医者になることが当然とされている。帰れば嫌味を言われる毎日。実際のところ、やっかい者として疎まれてもいるだろう。

学校に行けば新入りに対する周りの視線、襲ってくる吐き気。もうすべてが忌々しい。自分を落ち着かせようと屋上に向かった薫が出会ったのが、屋上の入り口をふさぐように椅子を並べて昼寝をしている千太郎なのでした。

 

「やっと、迎えにきてくださったとですか」

明るく豪快なキャラクターとして出てくる千太郎ですが生い立ちは複雑で、明るい大家族にみえる家庭に実は居づらさを感じています。物語後半になってその事情が明らかになってくるのですが、その時になって、この屋上の場面がもう一度思い出されます。

そもそも生まれてきてよかったのだろうか、いつも首にかけている、生みの母親が残したというロザリオだけが唯一、自分がこの世に生まれてきたことを肯定してくれるもの。神様が守ってくれるようにと残してくれたのかもしれない。愛情があったのかもしれない。このロザリオが存在しなければ、自分とこの世界をつなげてくれるものは何もない。家庭どころかこの世界に居場所がないなら、この世からいなくなったとしても別にかまわない。自分を大事にせず、無茶なケンカで人を殴って自分もさんざん傷つく。

ある日いつものように授業をさぼって屋上の入り口で寝ていたら、何か眩しくなって目が覚めた。頭がぼうっとしている。白く美しい光の中に、天使のような人影が見えた。

ああ、天使様が、やっと迎えにきてくれたのか・・・。

 

そこで千太郎が手を伸ばして掴んだのは、天使様ではなく、キラキラした目で千太郎を覗き込む薫の手でした。

 

 千太郎 「誰や、お前」        

 

このシーンを描いた原作の小玉ユキさん、最高。

 

そういえば、友人たちにこの坂道のアポロンが良かった、という話をすると、あれってBLっぽいやつ?と結構な頻度で返ってきたりしますが、いやいや、そうじゃない。そうじゃないけれど確かに、さっきの出会いのシーンもそうですが、薫のために屋上のカギを取り返してやろうと上級生とケンカしたり、最初から最後まで一見ラブストーリーのような場面がたくさん。

でも仲の良い友人同士というのは、お互いに憧れがあったり尊敬する気持ちがあったり、嫉妬にちかい感情だって芽生えるし、相手にシンパシーを感じるという点では恋愛と一緒でしょうね。

薫と千太郎も、お互い気になって仕方がないような感じです。

二人の距離が近づき始めるとてもいいシーンがありました。ある日学校で、薫がなにげなく、机に指をのせてエアピアノ(練習中の曲「モーニン」)を弾き始めますが、それに気づいた後ろの席の千太郎が、ニヤニヤしながら鉛筆をスティックに、机をドラム代わりに叩いて合わせてくるのです。

彼らの脳内、そして観客にもちゃんと、「モーニン」が聴こえていました。その二人に律子が気づき、彼らがいい友達になれそうな様子に嬉しさを隠せず、ニコニコと目を閉じてうっとりと聴いているのが可愛くてたまりませんでした。観客である私も、律ちゃんの目を通して、この微笑ましい二人を見つめていたように思います。

 

薫と千太郎のしぐさや表情から、この時代の生きづらさ、若い故に自分たちの力だけでは解決できない悔しさ、そしてだからこそ音楽を一緒に共有できる初めての友達がそばにいることの、くすぐったいような嬉しくて仕方ないような感情が伝わってきました。そこに律ちゃんの温かく柔らかい目線が加わることで、私自身、繊細ですぐに壊れてしまいそうだった「あの頃」を愛おしく思い出すことができたように思います。 

 

—④音楽につづく